なぜか、半年も下書きに保存したままになっていたこの撮影記。
次なる撮影へ向かうため、搭乗手続き前に空港でこの文章を追記している。
2023年1月21日 旧暦の大晦日にあたる今日
これから一路、那覇へ向かう。
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2022.5.15 沖縄撮影記
今回の撮影は梅雨真っただ中。
撮影中日は、はからずとも沖縄の本土復帰50年の節目であった。
その節目の日であることを撮影当日は知りながら
私がこの日選んだ撮影地は、多くの報道陣やカメラマンが足を向けた
宜野湾市の式典会場付近ではなく
沖縄北部の城跡で世界遺産にも認定されている
【今帰仁城(ナキジングスク)跡】だった。
本土復帰した50年前もこの日は雨だった。そう聞いているけれど
50年後の2022年5月15日も雨模様。
沖縄北部は雨模様どころではなく、低気圧や梅雨前線の影響で
朝から不安定な天候だった
天候に左右される屋外での撮影予定を急遽変更し、沖縄で生まれ暮らし働く人たちの撮影を時間の許す限り進めた。
撮影許可をもらいながら話をしていく中で、どんな風にしてここで暮らし働いているのか、どんな歴史を見てきたのか、時折垣間見せてくれる笑顔に親しみを感じながら心動くままにシャッターを切っていた。
帰りの機内で今回撮影した画像を見返しながらこの文章を書いているが、まだまだ色んな沖縄を撮りつづけたいという気持ちが素直にあふれてくる。この撮影にゴールはない。
こうしてる今も、内地で生きる私たちが忘れかけていた大切なものを思い出させてくれるのは、歴史や外的要因に翻弄されながらも、それでもここで生きていくのだという覚悟を決め、それをただひたすらに静かに心に刻み日々を営んでいるうちなーんちゅ魂なのではないかと思い知らされる。
青い海、癒しの島。それだけではない沖縄のリアルを私は撮りつづけたい。私が感じたうまく言葉では表現しつくせないそれを、写真を通して表現したいと思うから。
悲しいかな本当に大切なことは、人やものや情報であふれた世界では時として見失いやすい。常に虚無感と隣り合わせで生きているようなものだからだろうか。
埼玉の田舎町に生まれ東京で暮らす私が感じた沖縄のリアルな姿。それを撮りつづけたいと突き動かされたものの正体が何なのか、まだ道半ばの私には知る由もない。だからこそ私は撮りつづけることしかできない。
今回の本土復帰50年のタイミングで【本土並み】という言葉を度々メディアを通して耳にした。その言葉は2022年となった今、どこを目指している言葉なのかは各々の解釈だとは思う。誤解をおそれずに表現するなら、これこそ言葉が独り歩きすることは避けなければならないデリケートなものと感じた。
なぜなら、内に秘めたうちなーんちゅ魂はそもそも【並み】ではないから。その内に秘めた部分こそ、日本人として生きていく上でとても大切な精神性なのだと私は感じている。
その魂から滲み出る熱量を、私は沖縄を撮りつづける。
私の魂がこの身体に宿る限り。